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私らしく人生を楽しむヒント|飲食ディレクター・梅北奈鼓さん-part1-

Part1
華やかなテレビ業界での葛藤と、30代でのリセット

自分らしく、人生の後半戦を楽しんでいこう!というメッセージを届ける本連載。

第3回のゲストは、鹿児島で複数の人気飲食店を展開する飲食ディレクター・梅北奈鼓さんです。

私たちが年に2回鹿児島でフェアを行っているのが奈鼓さんが経営する「照国オリーブラボ」と言うオリーブオイルの専門店です。

私、nanadecor 神田とは20年来のお付き合い。敬子さんが東京と鹿児島と二拠点ということもあり、1軒目のしゃぶしゃぶ屋さん「梅屋」に続いてオープンした2軒目のお店「名山堀梅屋」と言うおでん屋さんは、敬子さんご夫妻がアドバイザーを務められました。

おいしいもの好き、おしゃれ好き、鹿児島での楽しいトークがスタートです。

「絶対にやらない」と誓った飲食の世界

神田:梅北さん(以下、奈鼓さん)は今や鹿児島で「梅屋」など人気店をいくつも手がける食のプロです。梅屋はオープンして20年、最近ではおでん屋さんや、おでん屋さんの向かいのバー「nomae」(おでん屋の前)も人気で食の世界が広がっています。幼少期からずっと食の世界を目指されていたのですか?

梅北:それが、全く逆なんです。若い頃は「絶対に飲食だけは嫌だ」と頑なに思っていました。というのも、うちの親戚はみんな飲食を経営していて休みがなく本当に忙しかったんです。中でも親戚の中でが1番大きな店舗が蕎麦屋で、子供の頃の記憶といえば、クリスマスも年末年始も関係なく、ひたすらネギを切らされていた思い出ばかりで笑。

岡本:もしや年越しそばに向けてクリスマスから準備をするとか?親戚も子供たちもみんな一緒に?

梅北:そうです。一睡もしないで年末に向い、眠って起きたら1月2日になっている、そんな生活です。日常から家族で過ごす時間なんて一切ありませんし、土日はとにかく忙しくて、学校の試験が近くても「ネギを切ってから勉強しなさい」と言われるような文化でした。子供ながらに「こんな生活は絶対に嫌だ、飲食だけはやらない」と強く心に誓って育ちました。

岡本:それがやはり飲食を経営しているなんて、やっぱり血は争えないですね。でも大家族で親戚もみんなで一緒に働くなんて、昔ながらの良い風習。

梅北:母親をはじめ、大人たちは全員忙しかったので、一緒に食事をした記憶はありません。よく母親がいなくて寂しかったでしょう? と言われるのですが、高校生くらいまで、親戚の子供たちが9人くらい祖母の家で暮らしていたので、逆に賑やかだったんです。そして美味しいもの、本物の味はこの頃に自然と教えてもらったんだと思います。

神田:ハタから聞くと楽しそうですね。でも飲食が嫌だった、ということは学生時代、違う道に進まれたんですか?

梅北:当時は母親の強い勧めもあり、あの時代は今でいうCA(客室乗務員)が憧れの職業でしたから、とにかく海外に行かせたい、英語を勉強させたいと東京の学校に行きました。しかし、いざ就活となると非常に狭き門で、自分でお金を貯めて海外に行こうか悩んでいたところに、たまたま鹿児島のテレビ局のアルバイトの話が舞い込んできました。まずはアルバイトとして入って、そこから正社員として働くことになります。

90年代、華やかに働いたテレビ局時代

神田:テレビ局ということは、とても華やかでエネルギッシュな世界ですよね。

梅北:日テレ系列の鹿児島局(鹿児島読売テレビ)の立ち上げだったのですが、営業局の「スポットデスク」という業務を担当していました。ちょうど90年代で、テレビ業界に非常に勢いがあり、視聴率も絶好調だった時代です。日テレ系ですからジャイアンツ戦もものすごい人気で、局が大きなパワーを持っていた頃ですね。

神田:マスコミの中でもテレビ局は忙しそう。

梅北:スポットデスクは15秒や30秒単位のCM枠を、お客様の予算やターゲット、期間に合わせて細かくパズルのように埋めていくデスク業務です。人気の番組は枠の取り合いになりますし、本当に忙しかった。

岡本:私の若い頃のアパレル業界の修羅場とも、どこかリンクする熱量ですね。がむしゃらで、時代も動いていて、本当に忙しいけれど面白かった時代です。

梅北:本当にそうですね。ただ、その華やかさの裏で、この10年の生活はあまり記憶がないほど。忙しすぎて毎日コンビニ食ばかりで、今考えると最悪な食生活のお手本みたいになっていました。お給料はたくさん頂けるけれど、使う暇も場所もない。強烈なプレッシャーと多忙のなかで、少しずつ心と体に歪みが出てきて、30歳の手前でついにこのままではまずいな、と思いはじめました。

自分の人生の選択を、自分でするために

神田:それだけ激しい毎日を10年もしていたんですね。そこからどうやって次のステップへ踏み出したのですか?

梅北:当時「このままじゃダメだ、自分の人生の選択は、誰かに委ねるんじゃなくて自分でしよう」と強く思いました。それで「せっかく人生を変えるなら、1年だけ海外に行かせてほしい」と周囲を説得して、アメリカのサンフランシスコへ飛び出しました。

岡本:体が悲鳴をあげた時の思い切りの良さや決断力は、やはり大事ですね。なんとなく過ごしていたら、あっという間に1年なんて過ぎてしまいます。誰かに言ってもらうのを待つのではなく、自分の意志で選択して動いたからこそ、奈鼓さんの次の扉が開いたのかな。

【次回
華やかだけれど過酷だった20代を駆け抜け、30代で人生のリセットを決意した奈鼓さん。次回、渡米したサンフランシスコでの生活、そして彼女の運命を大きく変える「オリーブオイル」との衝撃的な出会いへと物語は続きます。


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profile
梅北奈鼓

オリーブオイルコンポジター®、オリーブオイルソムリエ。世界オリーブオイルコンテストで日本人審査員を務める。世界中から厳選したオイルや食材を通して、毎日の食卓と暮らしを豊かに彩る提案を行っている。



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