税抜30,000円以上送料無料

私らしく人生を楽しむヒント 高橋(山田)初美さん chapter2

part 2 研ぎ澄まされたコンセプトが息づくクリエイティブの力

人生の後半戦を楽しむヒント、第二回は敬子さんの先輩、高橋(山田)初美さんをお招きしています。時代を駆け抜けてきたお二人の仕事ぶりは、想像もつかない華やかな世界です。ブランドのコンセプト作りから、ソフィア・コッポラとのお仕事まで、大切にしてきたことはクリエイティブの力です。お二人の信頼関係もそれぞれへのリスペクトがあってこそ。今回も楽しいトークをお楽しみください。

まとめ:nanadecorディレクター神田恵実

初美:私が東京へ出てきたのは79年、20歳くらいです。その頃、私が一緒に暮らしていたのが2015年に逝去したメディア・アーティストになった友人、三上晴子です。(社会的な作品で注目され、現在、東京都現代美術館にも作品が所蔵されています)一緒に生活をしながら、いろんなことをしてきたけれど、何をやっても早すぎて(笑) 寝ながらよく二人で「今後どうする?」なんて話をしていました。私は元々ファッションの学校卒なので「もう一度ファッションのことをやる」と話したのを覚えています。彼女はアートの方に進むと決め、その後、海外でも有名になりました。

私がたまたまファッションの方に行くと決めたその時に、電話がかかってきました。それがサンエーから、VIVA YOUというブランドで「プレスというポジションを作るからどうか?」というお誘いでした。全く経験がなかったけれど「やります」と。それが1982年の出来事です。

敬子:私はスタイリストオフィスにいた頃で、スーパーのチラシのような百貨店の撮影ばかりに悶々としていて。やっぱりお洋服が好きで、撮影で頼んだモデルの彼がVIVA YOUで働いていて「アシスタントを募集しているよ」と聞いて、それが始まりです。

初美:82年にプレスルームができ、社内でもまだ「プレスって何?」という感じでした。そして人っ子一人来ないわけ(笑)。もう会社の人にも頼れない状況で。そのうちに芸能人や素敵な友人たちが遊びに来てくれるようになり、会社からも見る目が変わってきて。

敬子:プレスなんて職業がない時期でしたね。場所がビクタースタジオの近くだったので芸能人たちがレコーディングの前後に洋服を見たり、遊びに来たりとかしてね。

初美:みんなもう、お茶を飲みに来るわけ。当時そこはVIVA YOUだけのプレスルームで、本当にみんなが遊びに来てくれました。今でもお付き合いがある小泉今日子さんをはじめ、アイドルの登竜門的な感じでしたね。

敬子:そう!アイドルはみんなVIVA YOUの服を、みたいな流れでした。衣装でもプライベートでも、みんなが着てくれた。

際立ったコンセプトにみんなが惹かれた

神田:ブランドが大きくなり、全盛期を経てバブルが崩壊。91年にNATUEAL BEAUTYというエレガンスというか、静けさ、が魅力のブランドが生まれた。時代が混沌とした中で、芯があるコンセプチュアルなところにみんな惹かれたんでしょうか。

敬子:他にないエレガントな雰囲気がありました。誰もが似合う、普遍的なものがベースでそれを表現したのも素敵で。まあ、早かったですね、本当に。(第一章参照)

初美:早すぎなのかなー(笑) コンセプトブックの制作はファッション以外の仕事をしている哲学的な方々に参画してもらいました。

神田:(カタログを見ながら)普通なら洋服をまずきちんと見せなくてはと、ファッションのカメラマンさんに洋服を撮影していただき、ついでに落ち葉をお願いする発想になりますが、ブランドのカタログのメインが落ち葉ですから、枠にはまらない発想は見習いたいところです。

初美:そうね、服を葉っぱに見立てて、樹海で撮影をしてもらいました(笑)

一同:笑。

敬子:だからこそ、初美さんにはプロデューサーみたいな仕事が増えたんでしょうね。ビジュアルの撮影ひとつにしても、キャスティングが新鮮で、プランニングそれぞれが奥深いですよね。

初美:この頃から、社内のブランドのプレスルームが統合になり、急に私に白羽の矢が立って統括部長になることに。

敬子:管理職になり、様々なブランドを見るようになって。

初美:社会性がないから無理です!と言ったけれど…。部長という肩書きが嫌でプロデューサーはおこがましいので勝手にディレクターと言う肩書きをつけました(笑) クリエイティブ職でしたが周りはマネージメントを望んでいたようで、そのギャップがちょっとストレスでしたね。

敬子:やっぱりクリエイティブの力を知っているだけに、立場上、外に出るものは変なものは作れない。ダサいものは出したくない、というプライドもありますしね。難しい立場だったかも。

初美:VIVA YOUみたいなカジュアルなブランドをトップに押し上げた後に、いきなり180度違うブランドを成功させたことで、評価をされたのかな。とにかくNATURAL BEAUTYが時代にはまったんです。その裏ではデザイナーと年300日一緒にいる感覚で(笑)価値観を共有しました。

30歳で作ったカタログから学ぶ審美眼を持つことの大切さ

神田:成功の裏にはこだわりを貫く信念がありますね。

初美:私たちは30代になり、互いにより精神的なニュアンスに惹かれていったのかな。

神田:カタログの出だしの文が「言葉と生活」ですから、詩的すぎます。これを作ったのが30歳くらいだったということですか?

敬子:しかもモノクロのカタログなんて素敵でしょう? この大きさで、紙の厚さも妥協がないし、よく紙屋さんが色んなサンプルを持って会社にきてたよね。

初美:文章も紙も、デザインも、コンセプトを多角的に表現したいと思って作ってたから、それぞれがとても大事。

初美さんのセンスこそ敬子さんのルーツ

敬子:当時は、まわりはヨーロッパに憧れていた時代だったけれど、私たちの気分はもうニューヨークに向いていたんだよね。シンプルさが大人の領域でもあった。

初美:そうそう、だから私も80年代、ゴルティエのスーツにスニーカーを履いてたなー。勝手にPARIS MIXのニューヨークスタイルを作ってた(笑)

敬子:あの頃からスニーカーを履いて通勤してた!

初美:まだ当時そういう人がいなくて、ご近所のご飯屋さんでは「エアロビちゃん」って呼ばれていて(笑)

敬子:アディダスのスポーツTシャツにCHANELのブレスレットとかね。そういうちょっとMIXなスタイリングが本当に上手。蛍光色のミニスカートを合わせたり、とにかく組み合わせが意外でみんなの憧れでした。今でこそスポーツテイストって当たり前かもしれないけれど、ラグジュアリーなアイテムもミックスしてしまうあたりが、本当にパンクでかっこいい(笑)

バブル崩壊後に各ブランドをコンセプトワークで復活させる

敬子:時代で言うと、ブランドはどこも大変で、初美さんが一つ一つのブランドをテコ入れして、その復活劇もすごかったんです。

初美:ブランドの全盛時代に立ち戻り、例えばファッションとカルチャーを結びつけて人気が出たブランドだったらそこを掘り下げるのが一番かなと。90年代は、Xジェネレーションの時代。その最先端は誰なんだろう? と探っていくとソフィアが見えて来た。「あ、ソフィアコッポラだ!」と思いすぐオファーしました。ソフィアは当時、カメラマンとして活動を始めたけれど、広告のクライアントとしてはVIVA YOUが初めてだったと思います。

神田:ええー!?

初美:だから考えられない値段でやってもらうことができたの(笑)

神田:今みたいにインスタでフォロワー数が分かる訳ではないし、その時代の背景と、ブランド特性と、嗅覚がすごいですね。

敬子:初美さんには独自のマーケティング力があるといつも思います。思わぬところから誰か見つけてくるから。

初美;ソフィアとの最初の撮影は、当時ジョニー・デップが所有権の一部を持っていたLAのクラブで、俳優のリバー・フェニックスが亡くなった場所でした。撮影の当日、何故かケイト・モスが立っていて不思議な時代でした(笑)

一同:笑

初美:他のブランドの立て直しでは「美脚パンツ」を作って、それがまた爆発的に売れて。他には、渋谷109のビル正面の巨大な広告は、多分私がジルスチュアートで出したのが一番最初だと思います。ジルはそこから人気が出て、また失速して、今度は全国キャンペーンをやろう! と一般のファンの方を呼んだコレクションを企画しました。そこからまたブランドが盛り上がって…。このイベントが現在の東京GIRLDS COLLECTIONの元になったもので、モデルとみんなで東京、九州、名古屋と全国を回りました。

敬子:とにかく組み合わせが絶妙。NATURAL BEAUTYもだけれど、本人はナチュラルじゃないパンクさがあるし(笑) 突拍子もない、サプライズみたいな企画が初美さんならでは。ファンも作る側の私たちも、とにかく楽しい! それが仕事の上で成り立つのがすごく大切な気がするし、学ばせてもらいました。今を楽しんでしまおう! というマインドは忙しくなると忘れがちな気がします。さらに突拍子もないことは最初はみんなびっくりするけど、それが楽しいと「アリだよね?」って、ブームになる。その根底には必ず初美さんならではの奥深さみたいなものがきちんとある。だから強いんだと思います。

神田:一見華やかなものも、考えて考えて考えて…直感もあると思いますが、時代を徹底的に分析していたんですね。

初美:意外と俯瞰で全部を見ていたかもしれないね。

敬子:今なんて自分が出たがりになる場合も多いと思うんです。初美さんはそういう部分は全くなくて、いつも裏でしっかり根本を深く考え続けているひと。

初美:だからお給料安すぎても気づかず働いちゃったのよね(笑)

こうして本当に大切なものは何か? を考え続けてきた初美さん。敬子さんがいつも楽しそう! を仕事で大切にされているのも、初美さんとの時代の賜物なのかもしれません。華やかな時代を駆け抜けたお二人、次回はその転機と心のうちを伺っていきます。


投稿日

カテゴリー:

タグ: